ほめられて育った人の生きづらさ【アダルトチルドレンNEO】
ゆとり世代のアダルトチルドレン(AC)は、昭和のわたしとはちょっとちがうみたいです。
そんなアダルトチルドレンNEOの人たちの解説です。
ほめて育てるブーム
「日本の子どもは諸外国に比べて自己肯定感が低いから、もっとほめて育てよう」そんなほめ育てブームが起こったのは今から20・30年くらい前のことでしょうか。
いわゆる「ゆとり世代」は、2002~2011年の間に義務教育を受けた世代(1987年4月2日生まれから2004年4月1日生まれの世代)ですから、平成前期に学校教育を受けていた人たちは、「ゆとり」+「ほめ」という子育てをされている傾向があります。
そして、この世代の人たちが30代半ばに差し掛かり、今、メンタル的にとても苦しい状況にあるように感じています。
この方たちを勝手にアダルトチルドレンNEOと名付けます( *´艸`)
昭和のアダルトチルドレン
「これはあくまで一般論です」と前置きしたうえで、わたし(昭和後期生まれ)の親世代は、厳しい人が多かったです。
なにせ戦中戦後を経験している世代だから、「食べ物を残せば目がつぶれる」「親不孝をすれば地獄行き」みたいにとにかく懲罰方式。
今ではちょっとした家族間のネタみたいになってますが、わたしが小さかったころ、うち実家の近所には超厳しいご家庭があって、子どもたちがお仕置きで毎晩のように締め出されていました(実話!)。あの子たち今ごろどうしてるんだろう?
と、そこまでいかなくても、しつけと称してぶたれたり、悪いことをすると晩御飯抜きだったり、今だったらちょっとした問題になるようなことも、そこら中に当たり前に存在していました。
(先生が生徒を殴ってたりもしたし!)
そんな時代に育った昭和世代のアダルトチルドレンは、「人が怖い」とおっしゃる人が多いんです。
- 上司に必要以上に委縮してしまう
- 士業の人を前にすると平身低頭
- 圧の強そうな人を前にすると緊張でフリーズしてしまう
- 言い争っている人たちを見ると自分とは関係なくてもドギマギしてしまう
もちろん、このお悩みを平成生まれのアダルトチルドレンが持つこともあるけれど、割合としては昭和生まれに多いんです。(平成生まれでも、親が昔気質の人だったり、夫婦不仲だったりするには多い。)
理由は明白。怖い親に怯えながら生きてきたから。
おとなになっても自分より強そうな相手に逆らうと大変なことになると思い込まされている状態です。
それから、逆にキレやすい人も多い。
これはキレるお手本(親)がそばにいる環境で育ったことが多いに影響しています。
自分の子ども、部下、お店の店員さん。自分よりも立場が弱い人を選んでトコトンキレる。
これやってる人は、まぁ、まず間違いなく親が怖い人です。
平成のアダルトチルドレン(NEO)
一方で、「ゆとり」+「ほめ」で育てられた平成のアダルトチルドレンNEO。
昭和時代のわたしたちから見るとずいぶん恵まれた環境のように感じますが、この方たちにはこの方たちなりの深刻な悩みがあります。
それは、「ほめられるのもほめられないのも怖い」こと。
- 上司:きみ、T大なんだって!?すごいな。期待してるぞ!
- あなた:あ、はい、ありがとうございます。
(大学名だけで期待しないでよ。ちゃんとできなかったらどうしよう・・・)
- 彼氏:〇〇ちゃんって、ホントスタイル良くてかわいいよね。
- あなた:え?そうかな・・・
(この人見た目だけしか興味ないのかな?年取ったらどうするの?わたしのこと捨てるの?)
「ほめられたんだから素直によろこべばいいのに。」
ほめられ慣れていない昭和型のわたしからするとそう思うのですが、NEOさんたちはそうはならないのです。
人から期待されたりほめられたりすると、それを裏切ってしまうのではないかという恐れにさいなまれます。
また逆に。
- あなた:きのうの会議の議事録できました。ついでにD社に提出する資料も作っておきました。お時間のあるときに確認していただけますか?
- 上司:ああ、お疲れさま。
(え?リアクションうすっ!こんなに早く作ったのに驚かないの?D社の資料だって頼まれたわけじゃないけど、先回りして気を利かせたのに。)
- あなた:最近メイク変えたんだ~。
- 彼氏:あ、そうなんだ。いいじゃん。
(なにそれ?もうちょっとなんかないの?このメイク似合ってないってこと?わたしに興味なくなっちゃったのかな?)
こんな風にほめられたい場面で期待するほめ言葉が飛んでこないと、「自分はもう期待されていないんじゃないか」「自分は相手にとって価値がないんじゃないか」という風に、ビューーンと飛躍してしまいます。
なんで、こんなややこしいことになるのか。
それは、自分のありのままの価値を親に認められてこなかったからです。
- さすがお姉ちゃん!
- 気が利く~ 頼りになるわ~
- 言わなくてもちゃんと勉強するもんね
- お手伝いしてくれて助かるわ
- こんないい点とるなんてすごいね
- クラスで1番!?さすが!
- あなたはきょうだいの中でいちばん目が大きくてかわいいね
こんな風に、自分の本質的な部分以外(容姿・成績・努力など)を評価してもらってほめられ続けると、子どもは自分の価値のウエイトを、
本質(存在そのもの) < 付加価値
ととらえるようになってしまいます。
「お母さんは、わたしがちゃんとお手伝いをする子だから大好きって言ってくれるんだ。」
「お父さんは、ぼくがいい点を取るとすごく機嫌が良くなって優しくしてくれるんだ。」
それは条件付きで認められている感覚であり、ありのまますべてを受け入れられた感覚ではありません。
そして、「自分の本質を見せたら評価されない」という風に思い込んでしまいます。
こんな風に条件付きのほめを浴びて育つと、「ガッカリさせたら見捨てられる」という思いにさいなまれるようになってしまうんですね。
それがおとなになった今でも抜けなくて、「ほめられるのもほめられないのも怖い」アダルトチルドレンNEOになるのです。
ガッカリされないように、期待に応えられるように、必死にダメなところを隠そうとしたり、身を削ってまでがんばり続けてしまったり・・・
また、自分の本質以外(見た目や学歴)などをほめる人にも強い不信感を抱いたりします。
ゆとり世代にゆとりなんかない!
それが現状です。
アダルトチルドレンNEOの更なる闇
それから。
さらに深刻なことには、NEOタイプの人たちの親御さんは、自分がほめて育てたという自負があるので、子育てを失敗した意識気が低い傾向が見られます。
「自分のときはめっちゃ叱られてたけど、わたしはちゃんとほめて育てた。だからわたしの子育てはまちがっていない。」
これが多くのNEOタイプの親世代の子育ての感覚です。
おとなになった我が子が、上司の反応に一喜一憂していようと、彼氏との関係をこじらせていようと、それが自分の子育ての影響だなんて1ミリも思わないのです。
そしてそのように自信満々でいられると、子どもも親のせいにする発想がわかないので、ぜんぶ「わたしが悪いんだ」と考えてしまいます。
さらには、「ちゃんと育ててもらったのに、こんな風になってしまって申し訳ない」とまで思ってしまってる人もいます。深刻・・・
親子共にアダルトチルドレン問題に気づけない人が多いのが、NEO世代。そして世代に関わらずほめて育てられた人。
いっそわかりやすく毒親さんでいてくれた方が、その問題に早く気づくことができ、生きづらさを手放しやすかったりするのかもしれませんね。
叱ってもほめてもダメなのか?
この記事を読んでくださった子育て真っ最中の方はこう思ったかもしれません。
「叱る子育てはダメ、ほめる子育てもダメ。じゃあ、いったいどうすりゃいいの?」と。
その答えは、「認めて育てる」です。
子どもの本質の部分をそのまま認めることです。
今日、今、この瞬間、ここに存在してくれることにただただ感謝するということです。
そうすると子どもは、自分を過大評価することも卑下することもなく、
「これが自分なんだな。どんな自分でもお母さんに愛されてるんだな。」
と感じられ、自己肯定感を育むことができます。
- 昭和の子育て・・・叱って育てる
- 平成の子育て・・・ほめて育てる
- 令和の子育て・・・認めて育てる
ほめるのが悪なのではなく、その前提として、
- 自分は何もしなくても十分に愛されている
- 自分は特別じゃなくてもここにいていいそんざいなんだ
- たとえ失敗してもまちがえても、お母さん(お父さん)だけは自分の味方なんだ
という確信の土台(自己肯定感)があることが大切なんですね。
令和を生きる子が幸せでありますように。
そして、昭和さん、平成さんには、インナーチャイルドケアを。
【まとめ】
●ゆとり世代(NEOタイプ)は、昭和世代とはちがった生きづらさを抱えている。
●昭和世代のACは、人が怖い人が多い。なぜなら親が怖かったから。
●「ゆとり」+「ほめ」で育った平成世代のNEOタイプACは、「ほめられるのもほめられないのも怖い」という悩みを抱えがち。ありのままの価値を親に認められてこなかったから。
●自分の本質的な部分以外(容姿・成績・努力など)を評価してもらってほめられ続けると、子どもは自分の価値のウエイトを、「本質<付加価値」ととらえるようになる。
●付加価値のウエイトが大きいと、ありのまますべてを受け入れられた感覚が育たず、「ガッカリさせたら見捨てられる」という思いにさいなまれることになる。
●NEOタイプの親世代は、ほめて育てたため子育てを失敗した意識が低く、その分子どもがダメな自分を責めがち。
●令和の子育ては、叱るでもほめるでもなく「認める」子育て。本質部分を見てありのままを愛していこう。