素直に謝れなかったわたしの話|インナーチャイルドケア通信
ICCM Newsletter — by Yoko Mori
Letters on Inner Child Care Method®
この記事について
※この記事はメールマガジン「インナーチャイルドケア通信」で配信した内容を掲載したものです。
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先日仕事で失敗をしました。
幸い大事にはならずに済んだのですが、
「もう少しいいやり方あったよな」
「わたしの配慮が足りなかったよな」と深く反省するできごとでした。
まだまだ自分の未熟さを痛感します。
でも、こんなふうにすぐに「失敗したな」「悪かったな」と思えるようになったのなんて、
ホント最近のことで、
会社員の頃なんかは、
「すみません、でも」
に続く言い訳を、100個くらい思いついてしまう人間でした。
「わたしが悪い」の代わりに、
「わたし【も】悪い」と言ってみたり、
逆に、「【ぜんぶ】わたしが悪いってことですよね」とすねてみたり。
めんどくさいやつですw
あの頃のわたしは、
自分の非を素直に認めて謝るというのがとにかく苦手だったのですが、
自分でも、どうしてこんなに素直になれないのか不思議だったんです。
でも、この仕事をはじめて、わたしと同じように「素直に謝れない族」の人たちに会う機会が増え、ようやくその理由がわかってきました。
それは、
幼少期に、
「自分の非を素直に認めて謝ってよかった」という成功体験が少ないこと。
わたし自身、子どもの頃に、
「謝って快く許してもらう」という体験をほとんどしたことがありませんでした。
我が家の場合、父と母が特別厳しかったというよりは、
「そういうコミュニケーションをしない人たちだった」という方が、近いように思います。
家族の中に、
「親しい間柄で素直に気持ちを伝えるのは恥ずかしいこと」
という暗黙の共通認識みたいなものがあって、
感謝やお詫びは、「言わなくてもわかるでしょ」という感じでやり過ごすのが常でした。
親に対して、「ごめんなさい」なんて恥ずかしくて言えなかったですし、
逆に父や母が、自分の非を認めて誰かに謝っているシーンも記憶にありません。
「ごめんごめん」とか「わりぃ」みたいなのはあった気もするけど。
そういう環境で育ったわたしにとって、誰かに素直に謝るというのは、
裸を見られるくらい恥ずかしいことという感覚がずっとありました。
だから、頭では「素直に謝っちゃった方がいいに決まってる」っていう場面でも、
それができなくて逃げてしまっていたんです。
そのほか、お客さまの例で言うと、
- 自分の非を認めてしまえば、理由も聞かずに一方的に責められた。
- 謝ってもなかなか許してもらえなかった。
- 謝った後もねちねち嫌味を言われたり、バカにされたりした。
のようなことをうかがいます。
つまりは、
謝ることでむしろ怖い思いをしたり、嫌な思いをしていたりすると、
「非を認めて謝る=いいことない」
という方程式(観念)が自分の中にできてしまうので、
うまく謝れなくなってしまうんです。
ちなみにこの逆で、
- とにかく早く謝った方が得
- 悪くなくても謝ってればまるく収まる
- 親が周りの人にひたすら謝りまくる
みたいな経験をしてきた人は、
おとなになると、
たいして悪くもない場面で
やたら「すみません、すみません」と言う人になったりします。
どちらもややこしいですね。
というわけで、
今回は「謝れる・謝れない」の話をしましたが、
それに限らず、「こうした方がいいってわかってるけどできない」みたいなことには、必ず、
子どもの頃から刷り込まれてきた【観念】(思い込み)があります。
それに気づいて、自分に寄り添っていくと、
ちゃんとできなかったことができるようになっていくんですね。
以上、40年間謝れなかったこじらせ女が、ようやっと謝れるようになったお話でした。
