「負けてあげる」は本当に勝ちなのか? 〜勝ち負けの土俵から降りるまで〜
ICCM Newsletter – by Yoko Mori
Letters on Inner Child Care Method®
この記事について
※この記事はメールマガジン「インナーチャイルドケア通信」で配信した内容を掲載したものです。
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「負けてあげる」という思考の落とし穴
若いころのわたしは、もうとんでもなく負けず嫌いで、
少しでもマウントを取ろうとしてくる人には、
ムキになって応戦していました。
自分の正しさを見せつけるために、
相手をぎゃふんと言わせるために、
どんだけ時間とエネルギーを使ったことでしょう。
バカですね。
でも、そんなわたしもだんだん年を重ね、
「バカと戦うのがバカ」だと気づき、
戦わなくなっていきました。
そのときに考えたことは、
「あんなバカに付き合うなんて時間のムダ」
ということです。
たしかに、
限りある人生をマウント取ってくるバカを倒すために使うなんて、
そんなバカらしいことはありませんから、
悪くない考え方だと思います。
このおかげで、「負けてあげる」ことができるようになり、
ムダが大いに省かれたのは事実です。
心の中のマウント取り
だけど、
そのあとに、もうひとつ大切な気づきがありました。
この「負けてあげる」という思考を、
1ミリもオブラートに包まず翻訳すると、
「わたしは賢くて高尚な人間で、
この目の前のバカな人間とはレベルがちがうから、
そんなわたしの貴重な時間を無駄にしないために、
本当は勝てるけど負けてあげるんです。」
ということなわけです。
これってどうです?
つまり、「負けてあげる」ことで勝とうとしているわけで、
相手に直接応戦しなくても、心の中でマウントを取り返してる。
相手をバカだと思うことで、
自分の優位性を保とうとしてるだけ。
結局のところ、
あのころの負けず嫌いな自分からは、
まったく脱却できてなかったんです。
本質的にはなんにも変わってない。
それに気づいたときには、まあまあショックでしたね笑
「負けたくない」を認めること
その気づきから今に至るまで、
わたしが争いごとや勝負ごとに直面したときにしていることは、
「負けたくない」という本音を素直に認めること。
自分の中に、子どものころのままの自分が残っていて、
きょうだいげんかで負けたくなくて、
手足をばたつかせて泣きじゃくりながらぐるぐるパンチをしている。
そんな負けず嫌いでバカで幼稚で未熟な生き物こそが、
相手ではなく、わたし自身であるということ。
そのことを受け入れていると、
どこまでいっても、問題は外にはなくて、
内側にあるんだとわかってきます。
そして、
自分の中に、負けるのが悔しい気持ちを受け止める場所があれば、
負けたくないとムキになって相手に言い返すこともないし、
「負けてあげる」なんて思考もしなくなって、
ずいぶん楽です。
ようやっと人に勝つことの意味がなくなってきた気がしています。
勝ち負けの土俵で人と争い続けるのはもったいない。
自分の気持ちを受け止めるという実践を、
わたしと一緒にやってみませんか?
今日のまとめ
・「負けてあげる」という考えは、相手をバカだと思うことで、自分の優位性を保とうとしてるということ。
・「負けてあげる」と考えているうちは、本当の意味で勝ち負けの土俵から降りられていない。
・「負けたくない」という本音を素直に認め、「負けず嫌いでバカで幼稚で未熟な生き物こそが、相手ではなく、わたし自身である」という現実を受け入れることが、勝ち負けの土俵から降りるということ。


